「そうであるべき」「そうでなければならない」
最近、耳にするようになった「そうであるべき」「そうでなければならない」を排除しようとする考え方。
神経症に関与している考え方のようですが、通常、それらの考え方は、健常な心の持ち主であれば、有益な考え方です。
というのも、「そうであるべき」「そうでなければならない」といった考え方は、常態を指すものではなく、目指すべき状態であるからです。
わたしたちが何かをしようと試みるとき、何を目指すのでしょうか。明確な目標設定をするはずです。それは、わたしたちが「そうであるべき」「そうでなければならない」といった状態、状況を想像するからに違いありません。
わたしたちは「健康であるべき」です。「健康でなければならない」のです。
さらに、「挨拶はしなければならない」とは言いませんが、「挨拶はするべき」です。挨拶の効用は「あなたの敵ではありませんよ」といったメッセージを含むからです。挨拶をしない人は「あいつは敵なのか」といった引用を与えかねません。
良い仕事は「こうあるべき」といったレベルのことです。
ついでに「人を殺してはならない」といった意見には誰もが賛成するのではないでしょうか。
人間は「こうあるべき」「こうでなければならない」といった状態を目指すことで安心感を得るはずです。
ですから、「こうあるべき」「こうでなければならない」といった考え方を否定するとき、健康的な考え方として考えるのなら、それは目指す目標として使うべきで、利己的な安心のために使うべきではなく、健康的に使わなければならないのではないかと考える次第です。