人間の生きる目的とは
何の努力もなしに生きている間は、「生きる目的」について考えることなどないでしょう。
「生きることがつらくなった」「うまく生きることができない」「こんなはずじゃなかった」
そんなことを意識させられることで、「何のために生きているのだろう」「何で生きなくてはいけないのだろう」と考えるきっかけになるものです。
多くの人は、漠然と「生き続けること」「繁殖」「快楽」と思っているようです。
「子供を産むために生まれてきたんだ」という人もいます。
「死にたくない」と必死になる人もいます。
しかし、その目的は達成されることはありません。子供を産んだからといって、何の問題もなくうまく過ごしているのなら別かもしれませんが、多くは生きる苦悩から逃れられるわけではないことは明白です。
「死にたくない」という目的は無駄であることは明白です。
「生きる目的」は、誰にでも当てはまらなければいけません。特定の人だけに,というのではだめなのです。
「子供を産むこと」が目的ならば、子供が生まれない人は目的が見当たらないということになります。男の人はどうなるのでしょう。
「子供を産むこと」というのが生きる目的だと思っている人は、その人だけの目的であって人間の生きる目的ではありません。
多くの人と接してきた中で感じるのが、人間の生きる目的というのは、「人間の見本になること」が目的のようにみえます。
年齢を重ねればそれだけの目的が生まれます。子育てする人には、これから子育てする人への見本、子供にとっての見本になります。
健康を維持する人は、そうしたい人への見本になります。
適当に生きる人は、反面教師としての見本になるでしょう。
ただ、同じ見本になるのなら「良い見本」になるべきです。なぜなら、悪い見本はいくらでもいるからです。努力も必要としません。
「良い見本」はあまりいないのです。努力を必要とするので誰もやろうとしません。それでも、「良い見本」になりたいものです。その努力には価値があるはずです。それは人間の生きることへ貢献するからです。
頑張りましょう。