老いるということを知っておく
現在、あなたが若いといわれる世代なら、ピンとはこないかもしれません。もし、あなたが老齢の域にはいっているとしているなら、ピンとくるかもしれません。
老いるということは、若い時分からの自分からみると悲しい年齢なのかもしれません。老齢になると、若さに羨ましさを感じるように思われがちですが、必ずしもそうでもない面もあります。
若い時の特徴は、「繁殖」です。そのことに一番の意識と行動が向かいます。あの「ブリッコ」な女の子も、繁殖相手をうまく獲得するための技術です。「そんなこと意識てやっていない!」と叱られそうですが、そんなブリッコさんも、繁殖期を過ぎると「ブリッコなんて面倒くさい!」とわかったようなこといいますが、「じゃあ今まで何でその面倒くさいことをやっていたんですかぁ」。繁殖相手の獲得でしょ。獲得済みか旬を過ぎて諦めたかのどちらかでしょう。
このコロナ禍にあっても若い人たちは街へ向かいます。本能的に繁殖相手を求めているのでしょう。無意識です。
クリスマスあたりには、街には明らかに帰宅者とは違う歩調の繁殖期にある女の人がフラフラと歩いています。路地、路地には、そんな女の子に声をかけようと男たちが待ち構えています。
繁殖相手の獲得>コロナの不安、であるかのようです。それが若さです。恐れを知らない年代は誰にもあります。性病が流行っていても風俗は廃れません。繁殖行為>性病の恐怖、ということになります。
それが年齢を重ね、繁殖期から遠ざかっていくにしたがって、恐怖>行動意欲となり、安全圏にとどまろうとするものです。
そう、高齢に向かうにしたがって安全、無難を求めようとします。そうなるための経験が高齢者にはあります。何が危険で何が安全かということです。
ですから、老齢者は若者よりも無鉄砲な行動力は失っていきますが、うまく生きていくための知恵が増すのです。
老齢者=能力低下ではなく、知恵の増大へと向かうのです。そのためには今からもっと知恵を得るように学ぼうと意識するべきではないかと考えます。
記憶力は落ちます。明らかに若い時よりも落ちます。しかし、年齢を重ねていくうえで記憶力を必要とはしません。というのも、記憶というのは生物学的な意味からすると、何が危険で何が危険でないか、獲物の獲得方法などの生存のためにあるものです。それがうまくいっていないとしたら、もはやわたしたちは危険によってこの世にはいません。その学習ができているからこそ、いまあるはずです。そのときの知恵の獲得によってです。それでうまくいっているのなら、もう記憶など必要としないでしょう。後は習慣です。
しかし、生きていくという未知の時間を過ごすには、まだ知恵が要ります。これまでの経験から危険回避はわかっています。社会性も身に着けました。どううまく老齢と付き合うかの知恵はまだです。
ですから、老齢に向かうにつれ、「知恵」に着目していくことが生物としての能力の発揮です。その「知恵」は、役に立ちます。次の世代にも受け継がれます。他人である人類全体にも影響を与えるかもしれません。それが理解できるのも老齢になればこそです。頑張りましょう。