「痛みに強い?」良いことではありません

「強いは良いこと」

こう思っている人はたくさんいるようです。わたしもそう思っていた一人です。

でも、、こうやって長年人の身体を観ていると、そうではないことに気づかされます。

先日も「腕が上がらない」「肩が痛くて…」こんな症状の訴えで来られた方がありましたが、「やはり」とっていってはなんですが、「私は痛みに強くて」と自信ありげに言われます。

「違います!そうじゃないんです!」

この症状は「頸椎ヘルニア」です。通常なら「肩がこる」「首がこわばる」などの前段階の症状があるのです。その時に、きちんと対処していれば頸椎ヘルニアで苦しむことなんてないのです。

尋ねると、やはり前兆があったようです。しかし、その時に「これくらいなら大丈夫」という間違った判断によって、大切な兆候を見逃してしまっているのです。

頸椎ヘルニアの前段階には「肩こり」「寝違え」があります。

腰椎ヘルニアには、「ぎっくり腰」「慢性腰痛」があります。

頸椎ヘルニアも腰椎ヘルニアも、急に壊れたのではなく、壊れつつあった段階が必ずあります。

「痛みに強い」

この間違った思い込みは改めた方がよいです。「我慢強さ」も要りません。そういうと「我慢は大事」と言われそうですが、それも違います。

それは、大切なことを先送りして、どうでもいいことを前倒ししているだけです。歯が痛いのを我慢して、歯の治療を先送りして、どうでもいい気晴らしを前倒ししているのと同じです。

これくらいのことは行動経済学でくわしくのべられています。 

とにかく、「痛みに強い」だとか「我慢強い」というような、「自分の能力は高い」と勘違いしていると損するのは自分です。

痛みは生体警告系です。そこかに異常があるからこそ痛みがあります。皮膚に小さな小さな棘が刺さっていも、あれほどの痛みが生じます。放置してれば痛みはさらに増幅されることは経験済みです。

どこに我慢する必要があるのでしょう。

生物は必ず朽ち果てます。必ずです。

そうなるまでに大切に扱うことは無駄ではありません。強気に「いつ死んでもいい!」なんて言う人もいますが、死を目の前にすると「ピーピー」と泣きます。

そんなありもしない幻想を抱くよりも、身体を大切にすることの方が、自分だけでなく自分以外の人にも値打ちのある行動なのだということを知ってもらいたいと思います。

若い時の苦悩よりも、高齢になってからの苦悩の方が耐え難いものです。

「痛みに強い」ということは良いことだと思っているけれど、実は自分を壊しているというお話でした。

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