人間関係は心理学
対人関係の悩みのこと
生きている限り他者との関係を断ち切っていきることは不可能です。それが真実だとしたら、わたしたちは「どう他者と関わりあえばいいのか」ということに特化して考えるべきだと思わされます。
英語の勉強をしている際に面白い記述に出会いました。横山雅彦という人の本です。
日本人は「腹を読む」民族だというのです。
お店で『今おつりが不足しています』という張り紙を見れば、あなたはどうしますか?
多くの人は「おつりのいらないように…」と何も言われずともそう考え行動するはずです。
日本人はそう考えるのです。
(それは単一民族の影響があるはずだとわたしは常々思っています。)
人間関係においてもわたしたちは、
「自分がこうしたんだから相手もこうするはずだ」
「普通ならこうするはずだ」
「現状を見ればわかるはずだ」
こんな風に相手に期待をします。相手に同じであることを期待するのです。当然ながら期待がハズレルことがほとんどです。
こんな日本人の心理反応を横山氏は『by telepathy』と呼びます。
横山氏いわく英語人は「IとYouは違う」ということを前提としているという話をします。異民族とのコミュニケーションを必要とする環境がそうさせるはずです。「IとYouは違う」のです。
このことは日本人にとっての人間関係の構築には重要な指摘です。
「忙しいから手伝うのが当たり前だろ」
こう思っても「IとYouは違う」のです。それがわかれば、
「今、忙しいので手伝って」
と言えばいいのです。すると、
「何を手伝ったらいいですか?」
と返答がくるはずです。
もし、その返答がない時に初めて「なんで手伝ってくれないんだ!」と憤ればいいのです。その憤りは正当なものなのです。「by telepathy」での期待は不当なものです。
短い人生を「ストレスフル」のまま生きるのはもったいないのです。だからといって、山の中に一人暮らすことは現実的ではありません。税金も払わないといけませんしね。
それなら、ストレスフルに陥らないようにするために「学ぶ」ということが最もストレスフルを避ける方法だといえなくもありません。
からだ矯正センターは、そんなことを念頭に施術しています。そして、そんなことを学ぶことが嫌じゃない、むしろ、そんなこと「好きだ」という人が来てくれます。そのことが、わたしにとって密かな誇りだということを声を小さくしてここに告白しておきます。
頑張りましょう。