来院してほしいと思う人は…
求める治療院と求められる患者
患者さん目線に立った「こんな治療院なら行きたい」という要望があるようだ。要約するとこうだ。
「カフェみたいなおしゃれな治療院」「やさしくて話しやすい人」「家、職場の近くにある治療院」「女性スタッフがいるところ」「日曜もやっているところ」「施術後にお茶がでるところ」
全部、要望を満たそうと思えば、移動式の治療院で年中無休、食器も照明も大変なことになる。
それならば、「治療家目線に立った、来てほしい患者さん」というのも同時にあってもおかしくないはずだ。ということで、そのことについて考えてみた。
「服装はおしゃれでなくてもいい」「やる気があるなら時間外でも来てくれる人」「老若男女関係なし」「健康についてまじめに考えている人」「治療院にケチをつけない人」「お互いが尊重できる人」「こちらの状況を理解してくれる人」「仕事や人生を頑張っている人」「時間や日時にルーズでない人」「冷やかしでない人」
まあ、これくらいの要望はどこの治療院でも出てくるだろう。
患者さんの求める要望と治療家の求める要望は全く共通点がない。このことが意味するのは小さくないはずだ。
しかし、「おしゃれ感を求めることは、そもそも治すとは関係ない」「家の近くの治療院には誰もいかない」「どこかが悪ければ仕事を休んででも行く」(そもそも日曜に診療している歯科や病院は少ない)「施術後にお茶を飲んでいられると、他の患者さんの邪魔になる」
(事実、当センターへは遠方から来られるし、おしゃれ感は求められないし、休日はやっているが休日は家でゆっくりしたいと言われるし、マンツーマンが良いと言われるし、お茶を出すとお茶は嫌いだと言われるし、難しいものだ。)
実は、この求められる自己中心的な考え方は、本来、治療の対象になるのだ。他人に「敬意を払う」「尊重する」ということを理解することは、精神の健康に強く関連しているからだ。
治療家と患者さんの共通認識は、「治してほしい」「治したい」ということなのだ。このことが一致しないと前には進めない。
この「何とか治してほしい」という気持ちが「何とか治したい」という気持ちに火をつけるものなのだ。